誰のためのアクセシビリティ? 障害のある人の経験と文化から考える
https://gyazo.com/0ea821143703b540e4906092a9135523
1.アクセシビリティの謎
ルール?
https://www.youtube.com/watch?v=23VEs2dViTk
「障害は世界を捉え直す視点」
障害を個人の身体の問題ではなく社会全体がよりよくなるための課題と捉える
アクセシビリティは障害のある人もない人と同等に社会に参加するための方法であること
映画の字幕は難しい
抽象的なことは省かないといけない
音声ガイド制作養成講座
音声描写の原稿を書くことに留意していること
目が見える人(晴眼者)と同等に映像を楽しめるようにする
音から得られない情報を描写する
場面転換が音と連動していない場合は変化したことを伝える
できるだけ見たままの客観的な情報を伝える
映像との同時性を担保し、晴眼者と同じタイミングで体験できるようにする
聞いている人ができる予約を作る
音声描写は、できるだけ客観的な情報を伝えることとされている
毎年改良していった。
このプロジェクトの目的が目に障害がある方を晴眼者と同じようにダンスを鑑賞するではない
目が見えていても見えていなくても何を受け取るかそれは様々な受け取り方があり見方がひとつに絞ったことではないことを体感してもらうことにある
これ非常に、大事
忘れたくない。常に何か考える時障害を障害でない人のレベルまで引き上げるという思想も大事だけど、様々な受け取り方があっていいんだよというのをしっかり体験することができるようなコンテンツ作りが大事なんだなとrkasu.icon
3. テクノロジーは鑑賞をアクセシブルにするか
会話形式で晴眼者と目が見えない方が様々な絵をみていく(AIのちからをつかって)
AIに絵の特徴を説明してもらってそれについて会話していく
印象の捉え方って別に晴眼者だろうが、目の見えない方だろうが関係なく違うんだなというのがわかった
4.障害のある人の文化から捉え直す
目隠しを試したからといって目の見えない人の体験をできたと必ずしも言えない
「暗闇を歩けてすごい」みたいな障害のある人を深く理解しようとせずに感動の対象として消費してしまう
アメリカは日本よりアクセシビリティ文化が盛んなイメージがあるがそうではない
最先端な取り組みを調べていく中で知るべきは、障害者文化であることに気づく
最低限な取り組みだけだった
2010年にCVAA法によって配信サービスなどより現代的なアクセシビリティが充実した この記事で現状のアメリカのアクセシビリティが書かれている
アクセシビリティが障害のない人によって提供される限り、どうしても身体機能の欠如という前提から始まることが多い。つまり、アクセシビリティそのものが、エイブリズムから逃げられないのだ。また、そこで目指されるのも、障害のない人の体験になるべく近づけるというというものだ。そうではなく、異なる身体とそれが生み出す経験にもとづいたアクセシビリティは、そもそも障害のない人が想像する範疇に収めるものではないのかもしれない。振り返れば、アメリカで目撃したさまざまな実践は、既存のアクセシビリティの構造に疑問を投げかけ障害のある人が主体となるアクセシビリティのかたちを模索する試みだった。
良い文章だったので引用
健常者もそうだけど障害を持った方々からもアクションが必要
たしかに
ドラマとかで健常者が演じる聴覚が失われて手話を学んだで演技するのは聴覚障害に人にとってみると全然違うぞ!となるケースがあるようだrkasu.icon
文化の盗作なのではないか?
見下されているのでは?
5.ともに楽しむために実践していく
だれでもトイレ
どこでも同じトイレの中が同じレイアウトではない
設備を確認して何がどこにあるか確認しないといけない
余計に時間が掛かってしまうケースがある
トイレはJISやISOによってボタンの色や形状は決められている
だれでもトイレでは守られている
しかし普通のトイレでは守られていない
障害者は使わないものと一般化されてしまっている?
アクセシビリティには終わりがない
少しずつでいい
建設的な会話でよくしていかないといけない
要望出しても片方が「やったことない」「無駄だと思う」みたいなスタンスだと一生望む世界にはならない
アクセシビリティ設定が豊富
ゲームでもただアクセシブルにするのではなくアクセシブルした上で挑戦できるようにゲーム調整をしている これは感動というか。なんというか企画がすごい、準備がすごくて勝てないなと思ったrkasu.icon
Jeniさん
ゲームができないから諦めではなくどうすれば改良できるかを常に考えていた
キーコンフィグだったりコントローラーの配置だったり
ちゃんと下手って言ってくれたことがすごい良かった。
なるほど。このマインドって大事なんだけど自然と出ることが難しいな。。。
確かにまあ身体に障害があるから仕方ないみたいな形で片付けてしまうのはよくないよね
最初は壁が当たる音があったので、一歩ずつ進んで行けば進めたけどアップデート版では壁の音がなくなってクリアするのが不可能になった
合成音声やアクセシビリティに優れたゲーム
6雑談会 あいだのアクセシビリティ
アクセシビリティって1個1個物理的な対応をしていくのも大事だけど心のバリアフリーも大事
美術館なら美術館、何かの会場ならその会場にいやすいと思える心が重要
障害のある人の視点が健常者側に入ることは結構重要
字幕とかそう。聞こえる人前提で作られるので難聴者やろう者がみたときに分かりづらいことがある
ここで意見できるか、そもそもちゃんとはじめから参画できるかが大事
アクセシビリティは人権の話
障害とか健常とか言い切れないと感じる
人はだれでも恩恵があったり支えないと生きていけない
この雑談会の内容を読んで多分ちょっと考えればわかることもしっかり言語化されていて、ますます自分が普段考えていることの視野の狭さに失望してしまったrkasu.icon
7.アクセシビリティの生態
できる/できないの判断を下してしまうのはNG
ただひたすら見守っていくことも大事
障害手帳で無料で入れたりする意味
ただ無料になるわけではない。万が一入場しても具合が悪くなった時などに改めていつでも入れるような配慮の意味がある
同伴者も一緒に無料になるといい(負担の軽減)
アクセシビリティを語るとき「みんな」とか「誰もが」とは言わないようになった
その主語には受け取る人の想像力に委ねられる
明確に含まれない人が出てくる
なんとなくまとめ
アクセシビリティは単なる「対応」ではなく、障害のある人と共に考え、実践するもの。
物理的な対応に加えて、障害を持った方々の視点を取り入れることが、真のアクセシビリティの実現に繋がる。
アクセシビリティを人権として捉え、社会全体でその向上を目指していく必要がある。